第2回 食べるラ―油とカプサイシンの不思議(前半)

<私的2010年流行語大賞:食べるラ―油>

2010年の流行語大賞に“げげの・・・”が選ばれて、多くの人が“げげげ”と言ったようです。話題には上らなかった様ですが、私は食べるラ―油が候補に挙がらなかったことを不思議に思います。食べるラ―油は話題が先行して、ス―パーでは品薄で、なかなか手に入らない程とのことで、男性よりも女性の方に人気が有ったようで、味にうるさい女性の方を虜にしたようです。
 トウガラシは韓国料理、例えはキムチには欠かせないようで、韓国から日本に入って来たように思われがちですが、南米が原産で日本に入り、それが韓国に渡りました。キムチに代表されるように、トウガラシは韓国の食事とは切っても切っても切り離れない食材です。漢字や仏教などの多くの古い文化が朝鮮半島から日本から伝えられましたが、唐辛子は逆に日本から韓国に伝えられたのです。
“唐”が付いた言葉が幾つかありますが、唐には沢山の遣唐使が渡り、仏教と共に新しい文化、制度を持ち帰りました。世界先端の文化国家であった“唐”と付けば“最新の”と言う響きがあったと思われます。明治維新に多くの日本人が欧米に留学して、近代文化、文明を学びに持ちかえりましたので、これらの技術や物品に対しては“舶来”“舶来品”などと言って“最新の”と言う代名詞の様に用いられていました。“唐”と言う言葉も、古い時代に、新しい、舶来と言う接頭語として用いられたようです。“唐がらし”と言えば“唐来品”で、中国から朝鮮半島を通して日本に入ってきた“新種のカラシ”だと私は勝手に思っていたのですが、逆の経路で有ることを知って驚いたことがあります。
 世界の三大香辛料と言えば“胡椒”“唐辛子”“辛子”だと云われています。唐辛子と辛子は違う種類であり、前者はナス科の植物、後者はアブラナ科の植物由来で、植物学的物にも起源が違うことに成ります。“辛子”には更に西洋辛子と和辛子が有って、前者はマスタードとして西洋料理に多く利用され、ホワイトとブラックに分けられていますが、“おでん”や納豆”に“辛子”を入れるといえば、和辛子を指すことが一般的だと思いますので、“辛子を下さい”と一口に言ってもなかなか複雑なようです。


  <“からい”は「塩」or「辛」、salty or hot>

味覚には日本で“あまい”、“すっぱい”、“にがい”“からい”が基本で、これに“うまみ”と言うのが和食を更に美味しくしているようです。中国でも“甘”“酢”“苦”が有り、それに“塩,鹹(かん)”と“辛”が有って、日本で言われる“からい”を“塩からい”と”ピリピリからい“を違う文字で分けてあらわしているようです。英語では“sweet”“sour”“bitter”と表記し、“からい”は“salty”と“hot”に分けられ、前者は“塩からい”後者は“ピリピリからい”を意味しています。辛いのを英語で“hot”と書くのを学生時代には習わず、アメリカ留学でアメリカ人と食事に行った時に始めて聞き、其の表現にかなりの違和感を覚えました。“激辛ラーメン”や“激辛カレー”を食べると、“からい”と云うよりも口の中が燃える様な熱い感じがして、誰でも「水、水….」と、口の中の火を消す様大騒ぎになるのは、確かに“hot”と表現する英語が的を射ていること感じるのは私だけでは無いと思います。


  <香辛料は薬味、薬>

私たちの食生活には甘、酸、苦、塩、に日本的な旨味の他に、香辛料と言う“やくみ”“薬味”“spice”があり、これが“辛い”食品であることが多く、東西を通じて食には欠かせない大切な要素に成っているようです。香辛料は紀元前から人類の必需品で有ったらしく、中世に「金」と同じ価値が有ると云われたのが胡椒で、インドで三千年前、すでにバラモンの聖典に登場し、その後、古代ギリシャ、ローマでも必需品とされ、医聖ヒポクラテスも“胡椒と蜂蜜に酢を混ぜたものは婦人病に効く”と書き残しているそうで、今の料理の香辛料と言うよりも正に“薬味”、薬としての希少価値が有ったと思われます。ヘンリー、八世の頃にヨーロッパでペストが大流行して死者が多く、人口の大減少が起こった時に、王はペストに効くとして国民に胡椒を摂ることを薦めたとの記録も残っていますが、勿論効果はありませんでした。ローマ時代から胡椒は料理の本にも出て来るように成り、其の利用量が増加して来ましたが、ヨ―ロッパは気温が低いので、やはりインドから入手する必要が有りました。その為にインド、東南アジアから陸路入手していたのですが、キリスト教のローマに対して、回教のトルコが、ヨーロッパとインドの間に大イスラム帝国を築いて、陸路で胡椒をインドから移入することが困難に成ってしまいました。その入手の困難さを打開する方法として、遠くアフリカの喜望峰を回り、インドに到達する新航路で海路、胡椒を運ぶ新ルートの開発が船乗りによって始まり、胡椒が大航海時代を作ったとも書かれています。この入手困難な貴重品、胡椒は、当時金にも匹敵する価値が有って、初めは薬としての価値でしたが、それが料理の香辛料として用いられるようになり、胡椒をどれだけ使っているかが、接待者の豊かさを象徴する事になっていたと書かれています。
 少し、胡椒の話に深入りしてしまいますが、日本では正倉院に胡椒の粒が保存されているそうで、八世紀前に、シルクロードを通って入ってきたことが考えられます。胡と言う文字は、唐の都が西安に有った頃、多くの胡の人が都に来たとの記録が有り、当時“胡の踊り”と言うのが西安では大人気で、それまでの唐の優雅な舞いとは違って、激しく舞って衣類の裾を旋回させる踊りで人々の目を引き、胡の人がもたらし演じたのでそう名付けられていました。胡とは当時のペルシャ、今のイラン地方を指す言葉で、胡の付いた言葉や食物で、先に述べた、胡人、胡の踊りなどがそうですが、ペルシャ方面から来た物だと言われています。身近な食べ物では、現在、毎日目にする胡瓜(キュウリ)も、胡が付いているので胡、ペルシャからもたらされた瓜と言うことになるそうです。胡椒も胡が付いているので、その名の由来からシルクロードをペルシャ、インド方面から遥々、奈良の地にもたらされ正倉院に保存されているので、当時は恐らく薬として用いられた貴重な品だったと思われます。因みに、西安に都があった唐の玄宗皇帝を滅ぼした安禄山は、初め皇帝に気に入られてどんどんと力を付け、最後に皇帝を滅ぼしてしまった程の人物ですが、彼は胡人と漢人の混血児で有ったと言われています。
 世界三大香辛料のもう一つの“からし”は今では和、西洋からし共に料理に使用されていますが、昔は湿布薬としても用いられたことが有り、からしの湿布をすると、その部分が充血してくるので、それを目的に使用されました。肺炎は今では抗生物質が有って特殊な場合でなければ、それ程困難な病気ではないと思いますが、昔は肺炎が治せたら一流の内科医とまで言われた時が有り、其の時には、胸に“からしの湿布”をして、胸部に血液が集まる様にして、肺炎を治そうと行われたそうです。肺炎が治ったあとには胸の皮膚に、水胞が沢山出来ていたと父が話していたことを思い出し、今では考えられない治療法だと思います。
 もう一つの香辛料“唐がらし”ですが、私が子供のころ“うどん屋の風邪薬”と言われて、熱いうどんに、“唐がらし”を十分掛けて、ふうふう言いながら食べ、後で頓服薬(多分アスピリンの様なものではなかったかと思いますが)を服用すると、汗が一杯出て、熱が引き風邪が良くなると母に言われたものです。
 現在多くの種類の香辛料が有りますが、大体辛みが有って、殺菌力が有るとされ、昔は治療に、又、病気の予防や食品を保存する目的で使用されたようです。古代の狩猟民族は、多人数の家族を養う為に大型の動物の狩りをしなければなりませんが、得られた動物の肉は一度には食べ切れず、勿論、冷蔵庫など無い時ですから、保存が大変だったと思います。塩漬けや乾燥保存も行われたでしょうが、塩も内陸部では貴重品でsaltがsalaryの語源であるように、貨幣価値が有るようなもので、今日のように贅沢に使用できなかったと思います。獣の肉自身にも臭いが有り、二次的に起こってくる臭いに対して、どうして美味しく食べるかが問題で、香辛料は保存、調理で大切なものではなかったかと考えられます。香辛料は経験的に殺菌効果有ったので、香辛料を摂取することで食中毒の予防や治療にもと期待して、薬としても利用されたのではと思います。 

  (後半に続く)




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