CNT研究会 顧問 栩野先生

顧問紹介

      栩野義博 大阪大学医学部 内分泌代謝内科 動物実験アドバイザー

 今回このホームページに雑文を掲載する機会を得ましたので、掲載を前に自己紹介をさせていただき、このような人生を送った男だからこんな文章を書いたのではと理解していただければ幸いと思います。
初めに簡単な履歴を書かせていただき、其のあとでより詳しく経歴を述べさせていただこうと思います。
私は1928(昭和3年)年6月15日に大阪でこの世に顔を出して、栩野義博という姓名を受けましたが、栃野でも、橡野でもなく、木扁に羽でとちと読み、皆様にはあまり馴染みのない漢字です。大阪にはもう一軒ある程度で珍しい性です。栃、橡はmade in Japan(日本で作られ文字で、“働く”や“躾”も本来の漢字ではないとのことです)で、made in CHINAの“とち”は字引に出ていまして、栩栩然(くくぜん)という熟語があり“喜ぶ様”と解説されています。私の祖父は和歌山の湯浅の出身で大阪に出てきまして、父も其のあと大阪で一生を終わっていますが、今と同じ性の人々は湯浅に数軒おられます。私は和歌山県立医科大学卒業の第1回生で、大阪の中学生の時には、先生にもなかなか正しく呼んでもらえなかった性でしたが、さすが和歌山医大では先生も学友もほぼ全員正しく私の名前を呼んでくれたのにはさすがと思いました。
今年が2008年ですから、生まれたのが1928年ですから丁度80年間、地球、日本でお世話になってきたことになります。医学部を出て、その少し前から始まった医師国家試験には合格(戦前は医学部を卒業すれば国家試験がなくて資格が得られました。国家試験は戦後にできた制度です)して医師免許は得ましたが、外科医として臨床を経験したのは3年で、それ以外の歳月は動物実験で過ごしてきましたので、何か業績と言われても、臨床的なものは全くありません。今までやってきました動物実験で、今でも研究者の方に利用していただいている仕事とすれば、自己免疫が原因の1型糖尿モデル、NODマウス発見、開発です(NODマウス研究の歴史、II,NODマウス研究会、日本における糖尿病の歴史、Diabetes,J,編集委員会編、山之内製薬、ホームページ でご覧になれます。)糖尿病は今や国民病のように年年増加していますが、その殆どは、2型で、原因は不明ですが、1型の糖尿病は緯度の高い北欧に多いという疫学的な調査成績があるので、  NODマウスも欧米で興味がもたれました。牛にひかれて、善光寺詣りではありませんが、NODマウスの縁で、その方面の第一線の研究者と直接会える機会を持てたことも思い出であります。

趣味はやはり時代、年齢や体力で変化するもので、戦後食糧のない時代に空腹を抱えてジャガイモを昼弁当に、初めて登ったのが奈良県の大峰山(関西では信仰、修行の山で、戦前から、男性はある年齢になると一度は登るという山で、今でも女人禁制の山ですが、私の在籍した中学でも、夏休みの行事として希望者を集めて登山をしていました)、苦しい山登りが、逆に私を山登りのとりこにして、その後、70歳の御岳登山まで毎年続けましたが、今は重力に逆らうことが苦しく、自信がなく途絶えています。山登りを始めた頃から、まだ一般的でなかったスキーも始めました。これもある意味では山登りと同じで、当時はリフトやゴンドラは無く、3-4時間歩いて登り、同じほどの時間をかけて滑って降りる、山スキーでした。この方は、今はリフトやゴンドラで登れるので、下りは重力ですから続けています。其のほかはこれという趣味はなく、若い時にもっといろいろ長く続けられる趣味を作っておけばよかったと悔んでいます。  

私の生まれたのは昭和3年で、昭和元年は5日程で終わり、実際には昭和時代は2年から始まったといってよく、昭和、平成を殆ど経験してきたことになります。それは戦前、戦後という変化の多い時代でしたので、次回はもう少し私の体験した変革の時代について書いてみたいと思っています。





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